2024/03

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かえってきました、上海に。

天津で新年っぽいこといっぱいした。
・アタックリストのごとき電話帳を片手に
親戚に新年のあいさつ電話かける。
・昼(おなかいっぱい)→挨拶回り(そこでも食べさせられる)
→夜(おなかいっぱい)→帰宅したらなぜかお菓子ボリボリ
・外向け営業スマイルで筋肉痛。

パパンはこないだ会ったけど
ママンは1年ぶりだったので
すごく老けてたらどうしよう!と心配したが
去年より元気そうだった。
行った日に大好物がいっぱい食卓に並んでて
うれしかった。3人の食卓ってやっぱり幸せ。
あ、1匹いるけどな。。。
今年はもうちょっと帰ろう。
見た目が元気でも、手術が控えてるから心配。

親戚は、新しい顔ぶれが増えたり
10年ぶりに会った人が太ったりやせたり
いろいろあったけど、
結局みんな変わってない。
かわいがってくれて、心配してくれて、
ちょっと外の人扱いしてて笑

まあ楽しかったり寂しかったり切なかったり幸せだったりの
忙しさで、今なぜかからっぽ。

仕事したくない。。。


ポメ子は元気だったよ。

カテゴリーに天津なんてあったのか、このブログ。
というわけで今日は旧正月の元日。
チャイニーズニューイヤー。


春節快楽。

大晦日の昨日から休みだったので
朝の飛行機で上海→天津。
いつも通りなつもりでいったら空港大行列。
生まれて初めて空港で名前呼ばれたw
○○航空○○便○○行きにご登場の○○さまー
○○ゲートまでー ってやつ。
ムハー。

年越しは家で3人でした。
去年はおじいちゃんおばあちゃんと一緒だったけど
具合も悪いし静かに過ごしたいということで
ちょろっと1時間くらい見に行っただけで
あとは家帰って私の好きなおかずに囲まれて
おかわりしまくってデブまっしぐら。
親戚まわりは明日から始まる予定。
誰が誰だかわからない情況と思われますががんばります。

あ、業務連絡ですが、携帯壊れました。
昨日朝から携帯のディスプレイが壊れて真っ白に。
中身は生きてるけど何も表示してくれないから超困る。
携帯屋さんももうあいてないので、
とりあえずメール類はPCと同期してそれで見て
電話は、とりあえず出る! という対策で過ごしてみましたが
めんどくさくなったので
親の古い携帯を借りてSIMさしました。
でもアドレスが全部本体に入ってるので
電話には出ますが超よそいきの声で出ます。


さてちょっと昼寝でもすっかー

昨日が中国的な大晦日でした。
朝から天津に飛ぶ。

着いて犬と遊んですぐ昼寝(ぉぃ

5時くらいから
おばあちゃんちへ向かう。
でギョウザやその他、
肉やら魚やらエビとかを食べたり。
みんなで話をしたり、
会話ほぼかみ合わず笑
(老人+天津なまりVSただでさえ日本語の方が得意な私)
でも一緒にいるだけでうれしそうだった。

その後23時くらいにうちに帰ってきて
あとは爆竹や花火の音との戦い。
本当ひどかった。
目の前に打ち上げ花火が上がって、
それが散ってこっちにむかってくるんですよ。。。
なんていうかもう意味わからん。

まあそれも中国です。

あーネコほしい。

天津での5日間が終了して、上海に帰ってきた。

実はママンの手術のために天津に行っていたのだけれども、
手術自体は無事終わって、術後の経過も良好でした。
むしろミニ日帰り旅行とか行けちゃうくらい。

初めての実家で感じたのは
親が寂しがってること。
それでもってそれを口にはしないこと。

休みがすでに終わって仕事をしているパパンのかわりに
昨日も空港まで見送りにいくとママンが言い張っていたけれど
雨で肌寒く、手術後まだ頭痛が残るママンに行かせるのは申し訳なく
ひとりでタクシーで出発した。
本当は見送りに来て欲しかったけど
いつのまにかそういうことを素直にいえなくなっている。
甘えることよりも、ママンの身体が大事。
別れ際ポメ子を抱いて
マンションの入り口で笑顔で見送ってくれたママンに
思いがけず心をかき乱された。
タクシーの中で無性に泣きたくなって
平凡な町並みの中で天津という文字のある看板を写真に撮った。

ふだんは一緒にいてあげられず
長い休みには日本にばっかり帰っている。
その申し訳なさとか寂しさで泣いたのだろう、たぶん。

自分でもよくわからない。


* * * * * * * * *

家に帰ると裕一がすでにいた。

日本みやげをいろいろもらった。
子トラと子ライオンとネコのミニフィギュア。
髪留め、ネックレス。
おいしいお菓子。

裕一がいてよかったな、と思うことは少なくない。
昨日もそう思った。

ポメ子(実家の犬)がビーフジャーキーをペロペロしていたので
「こらー。誰にもらったのー?」とちょっと不機嫌気味に聞いたら
なめるのやめてうるうるしながら上目遣いでこっち見てきたので
0.001秒で許した。

今膝に乗ってる。

なんつーか、橋、多すぎるぜ。
(川少ないのに)

明日から4泊5日で天津に行ってきます。
とりあえず、行く前に天津について思うことを書こうと思う。

というのも、あの街は行くたびに印象が違うからだ。

“故郷であり異郷”。
それが天津について思うこと。
9歳まで過ごした街なので、
覚えてることもまあそれなりに多いのだけれど、
埼玉やら東京やら、もっといえば上海やら
ほかの暮らした街に比べれば地理勘含め
何もわからない。

天津は北京のオマケみたいなもので、
そういう意味では埼玉に似ているけれど、
埼玉ほどネタになるところでもないので、
どこ出身?と聞かれると 埼玉、と言ってしまうことも
しばしばあるくらい、あまりスキではない。

最後に行ったのは2004年初頭。
留学の下見に上海へ行き、
そのまま天津へ母と祖母の墓参りに。

それから3年間、一度も行っていない。
それまでは毎年、少なくとも隔年で行っていたのに。

とくに用事がない、といえばそれまでなのだが、
祖母がなくなったことで
天津へ行く意味を見出せなかったのだと思う。
去年父が中国へ、それも天津へ異動になり、
両親が天津に家を構えたが、
私は“実家”とよべるそこにまだ一回も行っていない。

シゴトを始めてから、
時々天津の話を耳にするようになった。
北京のオマケではあるが、
ものすごい勢いで発展しているらしかった。
在住の外国人も増え、
北京の有名和食料理店が進出したりしているらしい。

私が知っている天津はそんなんじゃなかった。
冬は毎日氷点下で、湖が凍りスケートリンクになる。
同じマンションにクラスメートが4人いて
何してたか覚えてないくらい毎日毎日一緒に遊んだ。
祖父は団地を出たところのとてつもなく広い(たしか8車線くらいあった)
道を渡ったところにある川沿いの公園での散歩が日課で
時々一緒についていくと道沿いの市場でお菓子を買ってくれた。
私の知ってる天津はせいぜいそんなところ。

だけどあの湖はもちろんすでにスケート禁止。
4人のクラスメートのうち、2人は北京、1人はドイツにいる。
(そのことを知ったのも昨年だったが)
祖父は12の時に亡くなったし、
あの川は4年前に行ったらなぜか観光フェリーが走っていた。
そもそもマンションがもうないのだ。

天津へ行くたびに
感覚が「帰る」から「行く」になっていった。

あのマンションから祖父母が引っ越したあとからかもしれない。
帰省はいつもいつも同じメニューの繰り返し。
知らない道を、伯父やらいとこやらの車から眺めて、
高そうなところでみんなでごはんを食べてお酒を飲んで
中国語が下手になった自分に少し嫌悪感を抱き
ひまわりの種やら干し梅を食べるだけ。

それでも天津なまりが聞こえてくると
一瞬にして9歳の時に戻ったりする。
だからきっとキライではないだろう。
そんな場所。へ行ってきます。


いつもと文章の調子が違うのは久々の夜中更新だからです。おそらく。