明日から4泊5日で天津に行ってきます。
とりあえず、行く前に天津について思うことを書こうと思う。
というのも、あの街は行くたびに印象が違うからだ。
“故郷であり異郷”。
それが天津について思うこと。
9歳まで過ごした街なので、
覚えてることもまあそれなりに多いのだけれど、
埼玉やら東京やら、もっといえば上海やら
ほかの暮らした街に比べれば地理勘含め
何もわからない。
天津は北京のオマケみたいなもので、
そういう意味では埼玉に似ているけれど、
埼玉ほどネタになるところでもないので、
どこ出身?と聞かれると 埼玉、と言ってしまうことも
しばしばあるくらい、あまりスキではない。
最後に行ったのは2004年初頭。
留学の下見に上海へ行き、
そのまま天津へ母と祖母の墓参りに。
それから3年間、一度も行っていない。
それまでは毎年、少なくとも隔年で行っていたのに。
とくに用事がない、といえばそれまでなのだが、
祖母がなくなったことで
天津へ行く意味を見出せなかったのだと思う。
去年父が中国へ、それも天津へ異動になり、
両親が天津に家を構えたが、
私は“実家”とよべるそこにまだ一回も行っていない。
シゴトを始めてから、
時々天津の話を耳にするようになった。
北京のオマケではあるが、
ものすごい勢いで発展しているらしかった。
在住の外国人も増え、
北京の有名和食料理店が進出したりしているらしい。
私が知っている天津はそんなんじゃなかった。
冬は毎日氷点下で、湖が凍りスケートリンクになる。
同じマンションにクラスメートが4人いて
何してたか覚えてないくらい毎日毎日一緒に遊んだ。
祖父は団地を出たところのとてつもなく広い(たしか8車線くらいあった)
道を渡ったところにある川沿いの公園での散歩が日課で
時々一緒についていくと道沿いの市場でお菓子を買ってくれた。
私の知ってる天津はせいぜいそんなところ。
だけどあの湖はもちろんすでにスケート禁止。
4人のクラスメートのうち、2人は北京、1人はドイツにいる。
(そのことを知ったのも昨年だったが)
祖父は12の時に亡くなったし、
あの川は4年前に行ったらなぜか観光フェリーが走っていた。
そもそもマンションがもうないのだ。
天津へ行くたびに
感覚が「帰る」から「行く」になっていった。
あのマンションから祖父母が引っ越したあとからかもしれない。
帰省はいつもいつも同じメニューの繰り返し。
知らない道を、伯父やらいとこやらの車から眺めて、
高そうなところでみんなでごはんを食べてお酒を飲んで
中国語が下手になった自分に少し嫌悪感を抱き
ひまわりの種やら干し梅を食べるだけ。
それでも天津なまりが聞こえてくると
一瞬にして9歳の時に戻ったりする。
だからきっとキライではないだろう。
そんな場所。へ行ってきます。
いつもと文章の調子が違うのは久々の夜中更新だからです。おそらく。